「老害」っていう言葉はよく聞くけど、「老益」とは言わないよね。(調べたら語句として存在はするっぽい。企画倒れ。まあいい、なかったことにして続けよう。)
これってなんでなんだろうなと思ったので考えてみる。
ひとつの可能性は単純に、高齢者には若い世代の人たちに悪影響を与える人物のほうが多いということ。そうであればもちろん、「老害」という言葉を使う機会は多くなるであろう。
果たして本当にそうであろうか?
俺にはもうひとつの可能性の方が説得力があるように思える。
それは、人間というものは悪い印象の方が強く頭に残る生き物であるということである。
子どもの頃も含めて、人にされた親切なことよりも、嫌なことの方が強く印象に残っているという人が大半ではないだろうか。
人間のそのような性質から、若者たちは心のどこかで、どうせ老人と関わると悪いことがあるだろうと、必要以上に高齢者を悪者扱いするような先入観に囚われてしまってはいないだろうか。
確かに高圧的であったり、迷惑な行為をしている高齢者は一定数存在すると俺も思う。
しかしその一方で、とても感じが良くて、俺たちにとって有益なことを教えてくれる高齢者もたくさんいるし、俺はそのような人たちにも目を向けるべきだと考える。
というわけで、有益なじいちゃんばあちゃんのことを老益と読んでもいいのではないかと思うのです。第一、自分にとって有害な人のことばっかり考えてても人生楽しくないと思うし。考えざるを得ない状況に置かされていたらしょうがないと思うけど。
俺もじじいになったら老益になれてるといいな。いや、こんなキモオタは絶対に老害になってるべ。